「蒼穹の昴」から「レッドクリフ」まで


テレビでたまたま見たドラマ「蒼穹の昴」を一話見る機会がありました。
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内容は田中裕子が扮する西太后※1の生き様をドラマ化したものでしょう。
その西太后の装飾に真珠のネックレスから髪を結わえる今で言うシュシュに当
たる物まで真珠で作られていました。
当時の史実や服飾史で忠実に再現しているドラマでしょうから当時の西太后の
権力と美しい物への執着心が伺えますね。
ときは多少違いますが「レッドクリフ」(三国志-赤壁の戦い)でも曹操※2が戦時
の寝室でのシーンでも、寝巻きの上から黒っぽい真珠を首から下げているシー
ンがあったと記憶しています。
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真珠はこういった史実を再現する際にも装飾としたとても重要なアイテムなんで
しょうね。
古今男女、時の権力者真珠夜露説も見てくださいね!)でさえとりこにしてしまう真
珠の魅力ってすごいですよね。
でも、こういった機会に装飾の興味がわくのも職業病でしょうか(笑)
それでは新人みなみの徒然でした。

※1西太后(せいたいこう・せいたいごう、道光15年10月10日(1835年11月29日) – 光緒34年10月22
日(1908年11月15日))は清の咸豊帝妃で、同治帝の母。清末期の権力者。満州・旗人(鑲藍旗
人)の葉赫那拉(エホナラ、イェヘ=ナラ)氏の出身。慈禧太后(じきたいこう)。老仏爺(ラオフオイエ)。
中国語では「慈禧太后(Cixi Taihou ツーシー・タイホウ)」ないし「那拉皇太后」、「西太后(Xi Taiho
u シータイホウ)」。英語では「Empress Dowager(皇太后)」という呼称がよく使われる。幼名は杏貞、
蘭児。
:ウィキペディアより
※2曹 操(そう そう、永寿元年(155年) – 建安25年1月23日(220年3月15日)は、中国後漢末
の武将、政治家。詩人、兵法家としても業績を残した。(もうとく)、幼名は阿瞞また吉利。沛国譙県
(現在の河南省永城市という説がある)の人。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。
廟号は太祖、謚号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。
:ウィキペディアより
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